Fashion CHINA 独占インタビュー 01
JUNKO KOSHINO:
未来デザインで現代伝説を成し遂げる
──著名デザイナー・コシノジュンコの「こだわり」の世界
特約編集者 李楚鹃
【背景】 5月中旬、中国対外文化交流協会が主催する、日本の著名デザイナー・コシノジュンコが中国で初めのファッションショーから20周年を記念する「中日ファッション新生活文化交流」と題するファッションショーが北京飯店で行われた。
今回のショーは、コシノジュンコの長年の代表作を集めたもので、これまでの二十年間の流れが窺える。
ショーの作品は主に黒や濃い色が多く、フリンジ、プリント、プリーツなど東洋的な要素の中に、西洋的な特徴を巧みに融合した。コシノジュンコの濃厚な文化基礎と東洋的な絆が見られ、そして中国伝統服飾の姿が随所見られる。
「日本の文化を辿ると中国に行き着く。私のデザインは中国という大木に咲いている花。」とコシノジュンコは語る。
コシノジュンコは中国文化を遡ることによって、中国との深い絆ができた。これも今度のショーができた一つのきっかけかもしれない。
面白いことに、ショーの観客の中に、自費でわざわざ日本から来たコシノジュンコのファンが少なくない。これは、コシノジュンコのデザインはいかに独特で魅力と影響力があるものかということだけではなく、作品が文化と密接して精神的なものとなったら、時間と空間を超え、流行に左右されないのだということを教えてくれた。
20年が経った。人生にはいくつの20年があって、伝説を繰り広げられるのだろうか?
著名デザイナー・コシノジュンコが1985年以来、再び北京でファッションショーを行っていた時、人々を感銘させたのは、コシノジュンコが「中国という大木」に基づいた北京との断ち切れない絆と、年月と共に流されない情熱と愛しさである。
歳月の更迭により、青春はその艶が褪せるようになった時に、彼女はどのようにして、才能溢れるご主人を二十何年間ずっと自分そして自分の仕事のために駆け回り、そして、いつも後ろに立って彼女が表舞台で喝采を浴びているのを静かに見守ることができたのか?
20数年間、ご主人の鈴木さんとは意見の行き違いはどう解決したのか?
三宅一生、高田賢三、山本耀司と同時代の国際的な影響力を持ったこの巨匠は、何に支えられ、デザイン業にずっと従事し、やり続けられたのか?
日本のファッション業界の現状と発展が、中国のファッション業界及びデザイナーたちにどのような啓発が与えられるのか?
これらの疑問は、コシノジュンコとの快い談話の中から次々と明らかになった……
成功したデザイナー、特に成功した女性デザイナーにとって、仕事の成功は時に実ならぬ恋と家庭の不幸を意味する。
例えば、ココ・シャネルとビビアン・ウェストウッド。彼女たちはファッションに対する不滅な感情を持っている。
コシノジュンコもそうだが、彼女たちよりずっと運がいい。夫婦円満の生活で、世間に仕事と生活の両立ができると証明した。だから、コシノジュンコにとって、愛とは相当広い意味の言葉である。今流行りの「愛とはあなたの好きなものを愛する」という文句で、彼女の「愛」が語れてしまうだろう。
by jkf
Fashion CHINA 独占インタビュー 02
東洋文化と未来への探索
特約編集者 李楚鹃
ある意味では、ファッションはコシノジュンコの感情の器である。
彼女はファッションを通して、全ての才能と情熱を放ち出す。また、歳月と共にご主人との愛のつながりにもなった。コシノジュンコの談話意欲を誘い出したのは、彼女の輝かしい過去を成就させた、東洋文化と未来への探索へのこだわりである。
“私の作品の中に、東洋文化的な要素はまるで音楽のように、クライマックスの時もあれば、沈黙の時もあります。とはいえ、作品から溢れた雰囲気と個性はずっと変わらない。”
Fashion CHINA:「オリエンタル・プリミティブ」というテーマのパリコレデビュー以来、26年が経ちましたが、コシノジュンコさんは東洋文化と未来への探索へのこだわりがずっと変わっていません。東洋美的なの四角いデザインはコシノジュンコの特徴であるという見方がありますが、ご本人はどう思われますか?今の作品と比べて、その変化はどこでしょう?
コシノジュンコ:デザインは私にとって生れつきの表現方法であり、それはあくまでも感覚から生まれたものです。他人の評論により、まとめられた部分もあるのです。(笑い)東洋文化と未来への探索がずっと続いています。私の生命に溶け込んだとも言えます。この20数年間はきっと変化がありましたが、変化の程度の違いだけです。私の作品の中に、東洋文化的な要素はまるで音楽のように、クライマックスの時もあれば、沈黙の時もあります。とはいえ、作品から溢れた雰囲気と個性はずっと変わらない。
Fashion CHINA:近年、日本人デザイナーから、日本文化の傾向ではなく、むしろ東洋文化についての解釈が多いことが良く見られます。日本人デザイナーは欧米でも高く評価されているのは、彼らが民族文化を愛し東洋文化と西洋ファッションをうまく融合させることに関係があると思いますか?
コシノジュンコ:実は日本人のデザイナーが自分達自身が東洋文化を意識して創作しているとは「思ってない」と思います。日本デザイナー多少日本の個性という自分の考えを持っているからです。日本人デザイナーという国単位でその個性集団をとらえるのは(たとえば「中日」とか)ファッションの世界ではあまり好ましくないと思います。たしかにひとつにまとめたくなるのは他の世界にもありますが、彼ら(コシノジュンコも含めて)が民族文化を愛したことからその作風が生まれたとはおもいません。厳しい国際舞台にあっての自己表現は、それはそこに参加する他の世界のデザイナーの誰のものとも類似したり似ていたりしてはいけないのです。そしてその作品が厳しい「センス」の選択を通過して、そのこと(コレクションの発表)を毎シーズン繰り返し常に新作を提案してきた人々たちなのです。しかし作品のなかにそのデザイナー達の共通するのもが東洋的であって、民族的なものを発見したとき、それを評価する人々の「表現」として西洋と東洋の融合といった言葉を選ぶものだと思います。
“良いデザインとよく売れるデザインとは一致しないケースが多いです。そんなことで自分のキャラクター(個性)とそういったものを求めている事業家(市場)とのパートナーによるデザイン事業の達成です。”
Fashion CHINA:三宅一生、高田賢三、山本耀司と同時代の著名デザイナーとして、ご自分が日本デザイン界ひいては国際ファッション業界に及ぼした影響、そしてご自分の位置付けをどのように評価されますか?デザイナーの先輩として、20年前もう東洋文化を国際舞台で展開されましたね。コシノジュンコ:まさに現在の中国の時装における事業のひとつのよい質問になるかと思いますが、これは自分自身のテーマでありますが、デザインや生活文化の進展に大変な重要なことです。日本でのデザイナーとしては、あとに続く人に沢山の道しるべを残していると思います。
その事業とそれに関わる人々へのその仕事に対する行き詰まりや倦怠感の払拭をどうするのかといったときに考えるテーマでもあります。作ったものが沢山売れて関係者が幸せになるときもあります、しかし売れたものが作品として満足のいくものだったのか?という問題も残ります。またその逆もよくあるケースです。
Fashion CHINA:この質問について具体的なご意見とご策略をお聞かせいただけますか?
コシノジュンコ:まずはデザイナーと商業の関係です。ハードとソフトの分離といいますが、それまでの日本ではデザイナーが自分自身で製造と販売をする事業を起こして市場を広げていくのが定石でした。
いまもそうして事業を成功させているデザイナーの方々も多くいますが、良いデザインとよく売れるデザインとは一致しないケースが多いです。そんなことで自分のキャラクター(個性)とそういったものを求めている事業家(市場)とのパートナーによるデザイン事業の達成です。
デザインライセンスという事業手法ですが、これを日本で積極的に展開しました。そしてその展開事業種類も洋服(紳士服から子供服など)にとどまらずインテリアなど、家具から食器まで幅広く展開することになりましたが、事業の領域と量は広がっても、私自身のところでは倉庫や大勢の営業スタッフなどを抱える必要はありませんので、デザインへの集中が増します。
by jkf
Fashion CHINA 独占インタビュー 03
夫婦のパートナーシップと相手への思い遣り
特約編集者 李楚鹃
確かに、優秀なデザインは必ずしも売れるデザインと等しいことではない。
コシノジュンコは知恵と幸運で、自分の個性を認めてくれるメーカーを見つけ、彼らと協力し合い、独自のデザイン事業をやり遂げた。
しかし、コシノジュンコのデザイン才能を活かし、成功に導いた一人の男がいなければ、コシノジュンコの夢もそう簡単に実現するものではない。男を20数年間、自分を支持させることは単なる「幸運」という言葉で語れない。
“主人はかなり才能がある人で、時には私よりずっと考えが大胆でした。私たちの協力はお互いに思い遣り合うプロセスといえるでしょう。”
Fashion CHINA:鈴木さんとはご夫婦だけではなく、仕事のパートナーでもありますが、これまで仕事において意見が分かれたとき、どのように調整して解決していますか?具体的な事例をお聞かせいただけますか?
コシノジュンコ:仕事の上での意見分裂については、事業の展開の場合は多少でも結果と解決を「時間の経過」に任せる。(まあ言えば、一晩たつと主題について相手の考えが読み取れる)主観と客観の逆転現象でしょうか。ファッションショーの構成などで「もめる」時の決済は「フレッシュ感」、どちらの考えが「未来に近いか」、未来にはふたりとも従順です。
Fashion CHINA:鈴木さんはコシノ先生にほれていると聞いております。よく仕事に専念する女性は美しいと言われますが、鈴木さんはコシノ先生の才能にほれていると思いますか?また夫婦にとって協力できる基礎はお互いにほれている事ですかそのほかですか?
コシノジュンコ:才能の昇華へのパートナーという考えもあります。ただそれがファッションという一個人の芸術作品に対する認定ではなく、本人(鈴木)も参画してチームとして一緒に作り上げるパートナーシップ。本人(KOSHINO)のキャラクター(人間性)に好意を持っているのは事実です。(笑)互いの満たされない部分を相手が補完できる、それが良い夫婦かとも。
Fashion CHINA:お二人では、どちらか相手への思いやりがより大きかったのでしょうか。
コシノジュンコ:私たちは仕事で知り合ったので、ものすごく助けてもらったの。主人はかなり才能がある人で、時には私よりずっと考えが大胆でした。私たちの協力はお互いに思い遣り合うプロセスといえるでしょう。
“デザイン会社として勝ち抜きたいなら、パートナー、いわゆる協力してもらって、一緒に事業を作り上げてくれる人を探さなければなりません。これは成功への秘訣の一つである。”
Fashion CHINA:この夫婦のパートナーシップはデザイン会社の特徴と発展には最適だと思いますか?先生のお考えは、中国のデザイナーたちに啓発を与えていただきたいのですが…
コシノジュンコ:「デザイン会社として勝ち抜きたいなら、パートナー、いわゆる協力してもらって、一緒に事業を作り上げてくれる人を探さなければなりません。これは成功への秘訣の一つである。
別に夫でなくてもいいです。
例えばイブ・サン・ローランとパートナーのピル・ベキー。彼らの協力はYSLの輝かしい時代を創りました。肝心なのは二つの条件があります。ひとつ、パートナーが経営に精通して自分の能力を認めてくれる人でなければなりません。
ひとつ、お互いに信用しあう関係にならなければなりません。デザイナーとして、気力と才能は無限なものではありません。私は一応仕事の重点をデザインに置いていて、もう一人がいて、経営、管理などの事務を分担してもらう必要があります。
Fashion CHINA:コシノ先生の成功は、このほかに生まれ育った家庭の影響抜きでは語れないでしょう。洋裁店をご経営のお母様は国際ファッション三姉妹の奇跡を作り上げましたね。(ご姉妹にはHIROKO KOSHINO, MICHIKO KOSHINO がいます)
コシノジュンコ:(笑い)母は今年で92歳ですけど、まだ新しい仕事にチャレンジしています。お肌の手入れは私より上手です。父がなくなったあと、店を経営して私たち三姉妹を育ててくれました。私たちの趣味は母から影響を受けました。最も影響されたのは、「女性は仕事と自立」だということです。私は母の仕事への根強さと楽天的な考え方を引き継ぎました。
by jkf
Fashion CHINA 独占インタビュー 04
デザイン芸術と使命感への拘り
特約編集者 李楚鹃
コシノジュンコの話によれば、20数年間、彼女がしたい仕事はただ一つ、デザインである。彼女のデザインは舞台衣装からプレタ(婦人服、紳士服、子供服)まで、更に漆や食器などの日用品に広がっている。
デザインから離れたことがなく、「人々の暮らしを変える」という使命感からも離脱したことがない。
20数年間を振り返ってみれば、コシノジュンコの成功はさまざまな面から伺える。伝統の着物デザインの枠組みを超えた作品は嘗て日本着物協会に強いインパクトを与えた。1990年、アジア大会のためにデザインした未来志向の体育服装によって、スポーツファッションに新しい変化をもたらした……ここで特筆したいのは今年初、ニューヨーク・ブロードウェーのオペラ『太平洋序曲』の舞台服装をデザインした彼女が、トニー賞の最優秀衣装賞にノミネートされた。
“影響されない自分自身でいて、好きなものも嫌いなものもはっきりさせ、自分の造型感覚に自信をもって、「時代のニーズ」を予感し、人々の待望感を与える。”
Fashion CHINA:歌手の衣装デザインはコシノ先生がファッション業界に入ったきっかけとですが、その経歴はステージ服装の創作において、大いに役に立ちましたでしょうか?
コシノジュンコ:そうですね。影響が少なくないです。ステージ、歌手の服装のデザインがうまいですよ。芸術が共通したもので、普段はオペラが好きで、特にイタリアのオペラとフランス映画です。本当の芸術は流行に左右されません。イタリアのあるオペラ監督の作品は二、三十年後に見ても依然として先に走っています。自分の作品もこうなってほしいです。
Fashion CHINA:デザイン芸術ということですが、生活用品のための服装デザインとして、どうやって流行と個性、現代と未来の間の関係を把握していますか?そして、どうやって芸術デザインという考えを服装デザイン理念の中で続けていますか?
コシノジュンコ:確かにファッションは流行に影響を受けやすいことは間違いないです。生活性と現実性という意味で服の実用性と着る場所を考えなければならないです。たとえば旅行のための服は旅行の場面を考えるべきです。しかし、デザイン理念と芸術作品は一致するはずです。
ファッションは「用の美」の追求でもあります、「自分自身」と「出会い」と「時代」この三つがひとつになってモノつくり作品となっていくわけです。影響されない自分自身でいて、好きなものも嫌いなものもはっきりさせ、自分の造型感覚に自信をもって、「時代のニーズ」を予感し、人々の待望感を与える。人々の批判をかわせられ、説得力のあるものがないとね…おそらくプリミティブがシリーズ化したことは、そしてそれが受けたということは「時代」が求めていたものなのでしょう。「時代」はつねに「変化」を求めます、この先取りを提供できないとデザイナーは苦境に追い込まれます。
今回の北京のファッションショウでは一般の方からもメディアからも東洋的Eastern Designといった感想をよく聞きました、この作品群は東京で作ったもので特に東洋を意識したこともなく自分が今大きなパーティで着てゆきたい服はというものばかりでした。実際東京の店でもお客様には評判もよろしいのですが、特に海外のレセプションに出席する方には好評のようです。これにはそこに「民族のエスプリ」を見つけ出したのでしょう。
“私たちが築き上げた「哲学」の代弁としてのBRANDの今後のテーマは「コミュニケーションとファッション」場合よっては「コミュニケーション自体」がファッションであるということになるでしょう。”
Fashion CHINA:長い間デザイン事業に専念して、そしてパリコレにもよく参加することは、JUNKO KOSHINOというブランドに沢山の商業報酬を持たせたでしょう?コシノジュンコ:パリのコレクションに1978年から2000年まで参加しましたが、パリコレを見てイタリアの優秀メーカーがデザインの提携をしたいと申し出がありました。JUNKO KOSHINO Italiaというブランドで何年も仕事をしました。ここでの製品は彼らの手によってヨーロッパ、アメリカへ送り出されたものです。最近では家具のデザインの依頼もイタリアからあって展開をしました。そういう意味では作品や自分自身の表現(デザイン)で世界を目指すときはパリという場所は重要なところだと思います。
ただ常に創作という新しい未来のためのデザインは基本ですから、この達成のために何に眼を向けるべきか、これがモノをつくる、そしてそれが事業と連帯しているファッション、デザイン&ビジネスという芸術と隣接したこの仕事を(デザインの素養を芸術とは切り離せないことである認識をお知らせすることも重要)達成してデザイナーの仕事の領域の拡大はあとに続く人々へのビジョンになるものだと思います。
世界の領域(マーケット)に自分を示すのと自分の領域(才能)を世界に普及。
これは自分のキャラクター(個性・特徴)の自己発見が大事です。
Fashion CHINA:先生はとてもエネルギッシュだと聞いておりますが、普段の一日をどのように過ごされているかをお聞かせください。ご自宅で休んでいる時は何をなさいますか?もっとも満足感を得ることは何ですか?
コシノジュンコ:おそらく頭の中が空白の状態が、我慢できない性分なのでしょう。家で時間のあるときはいろいろなものの整理、そして料理も集中できていいですね。遊びも仕事も集中が好きなようです。人との集いが望むと望まずにかかわらず休日も含めて多いです。人好きなのですね。
Fashion CHINA:現役で活躍されている大物デザイナーとして先生は日本ファッション業界の繁栄期そして現在の緩やかな時期を経験されましたが、日本ファッション業界の現状についてコメントをいただけますか?
また、貴社の自社ブランドの更なる発展のビジョンについてお話を聞かせていただけますか?
コシノジュンコ:日本のファッションとその業界について「混沌」という言葉がありますが、残念ながらファッションも経済とは切っても切り離せない産業です。ファッションは日本では「繊維」中国では「紡織」といった工業事業の先端的役割です。経済の進展とその崩壊は流れを大きく変えます。
日本のファッションビジネスに大転換期をあたえた経済崩壊は大衆の購買意識を変えましたがIT出現により流通事業の仕組み流れに大変化が起きました。ひとつの経済景気単位でのサクセスと次の景気単位でのファッション需要はフレッシュ顧客ともいえる服が必要な若い顧客層に元気が現れる。「時代」の要求と要望ですので大衆のファッションにたいする憧れや願望は消えることはありませんが、「着る」こと対して旺盛な「世代」、若者といってしまえばそれだけですがここには、「感性の共有」ともいえる需要は期待できますが、成熟高齢化社会におけるファッションの拡大は厳しいものがあります。
ですので先にふれた自分の領域を広げる、広がった領域での表現は可能性が大きいです。
オペラや京劇にいたるまで「衣」はなくてはならない「具」であります。私たちが築き上げた「哲学」の代弁(ここではあえて哲学にしました。)としてのBRANDの今後のテーマは「コミュニケーションとファッション」場合よっては「コミュニケーション自体」がファッションであるということになるでしょう。
今後はこの「コミュニケーション」の場の真ん中に「JUNKO KOSHINO」というブランドが位置づけられるでしょう。そしてその具体的展開をまさに立案をしておりまして、その具現に中国はうってつけの「領域」になります。
by jkf
Fashion CHINA 独占インタビュー 05
特約編集者 李楚鹃
インタビューが終わった。
別れ際に、コシノジュンコのブランドは中国市場への参入はあるかと尋ねた。
彼女はこう答える、JUNKO KOSHINOが好きな中国人消費者たちに、日本に来て、日本でJUNKO KOSHINOの服を買ってほしい。
短い話だったが、彼女の野望が見えてくる、いや、むしろ彼女の「知恵の現われ」かもしれない。その前に、私の「長い間も子供服のデザインをして来てこられたが、どうしてやめたのですか」という質問に対し、「子供服デザインを引き受けた一番の理由は息子に合う服が見つからなかったのです。今は息子も大人になったので、やめてもいいと思った」とコシノジュンコの母性愛に溢れた言葉に対し、記者はこれ以上何も聞けませんでした。
また、彼女の「息子に強要しなくても、きっと将来は母を手伝ってくれる」という考えから、彼女の叡智が伺える。
この叡智があるから、コシノジュンコの伝説が続けられている。しかも、近代化した連絡手段と経済発展がアジアをもっと開放するようになった時に、小篠順子のJUNKO KOSHINOブランドは交流の中から自分の位置を見出すはずだ。
中国人デザイナーへの啓発
ナショナリズムを国際化、グローバル化に転換することはとても重要な問題である。それなりの素質をそう簡単に備えるわけではない。国際的な体験は雑誌とインターネットだけではなかなか物足りない。十分な時間と資金がなければ実現できない。
これが、自分の身の回りにいるさまざまな芸術に従事している人々との交流から、刺激を受けて実感したものである。もちろん、自分にも相手に刺激になれる部分がなければ、友人にはなれない。だから、中国のデザイナーたちは、もし国際化のルートを選んだら、まず中国の芸術文化の真髄を味わう必要がある。
時代の歩みを捉えるために目を外に向けるけど、実は発想が常に身の回りにある。海外でいろいろ見回ったら、身辺の発想が見えるようになる。時代の枠組みから中国に狙いを付けて、自国の優れた部分をデザインに融合して国際的基準化することができる。
国際的な感覚とは、西洋の様式で物事を見るのではなく、西洋の「働き」に東方の「意味合い」を加えることである。中国は、どのように自分の奥深い伝統文化を現代的な手法で解釈するかで全世界から熱い視線を浴びている。なんと言っても、この発展は世界にとっても貴重な宝物である。もし、中国のデザイナーたちがこれに興味を持って世界に向けるようになったら、誇りに残るものをかなり見つけるはずである。

by jkf